うるま市の文化財 2
2012年07月21日
伊波城跡 うるま市石川伊波
13~14世紀に、伊波按司が築城した。伊波按司は、北山王となる怕尼芝(はにし)に滅ぼされた今帰仁城主(中北山)の子孫といわれ、城から落ち延び嘉手苅集落の山中洞穴に隠れていた所を、伊波集落の住民が推挙して伊波按司にしたといわれる。1416年、尚巴志(中山)が攀安知(はんあんち)の今帰仁城攻略後、伊波按司は巴志に従った。
グスク入り口
野面積みの石垣
眺めの良い立地はまさに要所である本島の中心部。
伊波一族は勢力を広げて行き、子孫たちは安慶名グスク、具志川グスク、喜屋武グスク、勝連グスクなどの城主になった?と言われています。小さなグスクですが中部の一大勢力だったようです。
標高87mの丘陵に位置し、東西45m、南北52mの範囲に一重の石垣をめぐらせ単郭式の城で面積は3712㎡。
大きな地図で見る
(県道6号線の伊波交差点の近くに看板あり)
13~14世紀に、伊波按司が築城した。伊波按司は、北山王となる怕尼芝(はにし)に滅ぼされた今帰仁城主(中北山)の子孫といわれ、城から落ち延び嘉手苅集落の山中洞穴に隠れていた所を、伊波集落の住民が推挙して伊波按司にしたといわれる。1416年、尚巴志(中山)が攀安知(はんあんち)の今帰仁城攻略後、伊波按司は巴志に従った。
グスク入り口
野面積みの石垣
眺めの良い立地はまさに要所である本島の中心部。
伊波一族は勢力を広げて行き、子孫たちは安慶名グスク、具志川グスク、喜屋武グスク、勝連グスクなどの城主になった?と言われています。小さなグスクですが中部の一大勢力だったようです。
標高87mの丘陵に位置し、東西45m、南北52mの範囲に一重の石垣をめぐらせ単郭式の城で面積は3712㎡。
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(県道6号線の伊波交差点の近くに看板あり)
Posted by 勝連城跡 at 16:02